大川家具について

大川家具について

福岡県の南西部に位置する大川市は、多くの家具工場、問屋、小売店が立ち並ぶ「家具の町」です。家具の生産量は日本一を誇ります。大川家具の歴史は古く、その起こりは約460年ほど前までさかのぼります。

大川家具の発祥

大川は筑後川の下流にあります。筑後川はその源を阿蘇外輪山とし、木材の産地である日田で玖珠川と合流し、有明海に注ぎます。その豊かな水は日田の木材を大川へ運び木材の集積地としたばかりか、筑後平野の物資の集積地でもありました。そのため古くから造船業が栄えました。その中心となったのが榎津。大川家具の開祖、榎津久米之介が、船大工の技術を生かして、天文5年(1536年)指物(さしもの)を始め、これが「榎津指物」のはじまりとされています。しかし、まだ当時は造船業が主で家具が主流になるにはさらに多くの時を要しました。

中興の祖、田ノ上嘉作

中興の祖、田ノ上嘉作は、文化9年(1812年)榎津長町に生まれ、久留米の細工人に弟子入りし箱物の製作を修得して帰郷。それまでの榎津箪笥似改良を加え、高い評価を得ました。これが「榎津箱物」のはじまりと言われています。田ノ上嘉作の死後、孫にあたる田ノ上初太郎が家業を継ぎ16歳で田ノ上嘉作を名乗りました。長崎で唐細工の技法を学んだのち、榎津指物に新しい技法を取り入れ田上嘉作の名を確固たる物としました。その後、田ノ上の代々の名工たちは唐細工やオランダ家具などから様々な技術を取り入れ大川家具の基礎を築き上げました。

大川家具の発展

今から約100年ほど前の明治22年(1889年)、町村合併によって大川町が誕生しました。塗装方法や木工機会の進歩などの技術の発展、材料の木材が確保できたことと、家具製品の販売先が広がったことで木工関係者が町全体の四分の一を占めるほどになり、大川が家具の町として大きく発展し始めました。しかし、第二次世界大戦の敗戦による物資不足が木工関係者に打撃を与えました。その後、木工産地として復活し、家具づくりを再開。国より「重要木工集団地」の指定を受けました。また、昭和24年(1949年)、榎津久米之介の400年忌を期して「第1回大川木工祭(昭和29年から[木工まつり]となる)」が開催されました。昭和30年(1955年)5月には大阪で開かれた「第1回全国優良家具展」への出品により、全国の注目を集め、同年、「西日本物産展」で、工業デザイナー河内諒デザインの和ダンスが最高賞を受賞。世に知られる大川調の「引き手なしたんす」でした。

現在の大川家具

現在では箱物(タンス類)、棚物(食器棚等)家具を中心とした日本最大の家具産地に成長し、高価格製品から普及製品まで、幅広い商品構成を特色とした産地を形成しています。また今日の大川のインテリア産業は家具・建具の産地から、住宅関連産業も含めたトータルインテリア産業へと発展しています。

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